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哲学の効用

生きていると悩んでも仕方がない問題というものがある、ように思える。

実は悩み続けていれば答えが出てくる問題なのかもしれないが。

 

例えば、彼女は僕のことをどう思っているのだろう、とか。

想像は可能だ。

朝から一言も口をきいてくれない。

別室に移ってこそこそと何かをしているような気がする。

どうも、彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。

しかし、これはあくまでも想像にすぎないので、本当のところはわからない。

本当は僕の為に何かサプライズプレゼントでも準備しているのかもしれない。

気持ちを訪ねてみても、内心で怒りを抑えながら、口では「全然怒ってないよ」などと言うかもしれない。

 

悩んでも仕方がない問題は、逆説的だが、とりあえず解いてみることにしている。

上の例でいえば、「どうも機嫌を損ねてしまったようだ」と結論を出して、何か対応する。

答えは間違っているかもしれないが、それはやはり仕方がないのだ。

 

ここで重要なのは、何でも仕方がない問題を、とりあえず解ける問題にすり替えてしまうことだ。

彼女は僕のことをどう思っているのだろうという問いを、彼女に僕はどう接するべきなのだろうという問いに変える。

これを考えたところで正解は出ないかもしれないが、自分の考え次第なので、解くことはできる。

 

思えば、そういう問題のすり替え、あるいは問題の在り方自体を問うことができるようになった自分は、以前より生きるのが楽になったような気がする。

色んなものと折り合いを付けながら生きることができるようになったから。

それができるようになったのは、哲学のおかげだろうか。

アキレスとカメのパラドックスにおいて、なぜ追いつけないのかという問いを考えるのではないく、いつ追いつくのかという問いを考えれば、問題は一応解けてしまうし、納得がいく。

そういう訓練を趣味でしていたのか、あるいは無意識にその訓練をしたのか、ということはわからないが、まあ役に立っている。

 

マキャベリは、人生の半分は運命、もう半分は力量と言ったそうだが、

運命を仕方のないことと考えると、自分の力量を試そうという気にもなるのだ。