大学生が勉強しなくなるわけ

大学生であるからといって、教養があるわけではない。

教養は、色々なことを実際経験したり、たくさんの本を読んだりして(それも経験の一つの形なのだろうが。)、自分の頭で考えたりして、身につくものだと思う。

 

手っ取り早いのは本を読むことだろう。

例えばアメリカのことを知りたくて、アメリカに旅行すれば、生のアメリカを感じることはできるかもしれない。

ただ、深い知識、まさに本で読んだだけではわからない知識を得られるとしても、それには時間がかかる。

多分、アメリカの歴史を書いた本や、旅行ガイドブックを1冊読んだ方が、アメリカの知識の量を得ることは可能だと思う。

(本も読んで旅行もして、というのが一番楽しくて効率も良いのだろうけど。)

 

でも、最近の大学生はとかく本を読まない。

仕事柄、大学を卒業したての社会人と接する機会に恵まれているが、彼らの本の読まなさには驚きを隠せない。

そのため効率よく知識を呑みこむことができず、仕事にも影響が及んでいるように思える。

 

本を読むのに一番いい時期は大学在学時だと思う。

義務教育を終えて、一通りの本は読むことができるし、行動力も身についているので自分から色々な経験を積むこともできる。

ただ、いかんせん高校生は大学受験の勉強で忙しかったり、まだ義務教育の延長のような雰囲気もあるので、本を読むには足りない知識やスキルがある。

だから、大学在学時、特に低学年のときが、ベストだと思う。

 

でもその頃に本を読まない大学生は多い。

大学生の本分は飲み会やサークル活動、あるいは退廃だと考えているようである。

飲み会やサークル活動、あるいは退廃は、大学生でなくてもできるので、大学生の本分ではそもそもない。

大学とはやはり勉強するところで、学問(自分で問を立てて、答えを探す行為)ができるところという本質は揺るがない。

就職のための踏み台が本質であるとの誤解もあるかもしれないが、

大卒であることが就職のための踏み台になることの前提として、大卒者に勉強・学問の経験があることが隠れているはずだ。

(したがって、大学生が勉強していない、高卒とさほど学力が変わらないということになれば、就職先の企業からしてみれば、高卒を雇うのとあまり変わらない態度で接するだろう。)

 

しかし、大学の本質がなんであれ、勉強しない大学生は消えない。

1つには大学がそれを容認していることもあろう。

学費さえ支払ってくれれば文句は言わないということ。

もう1つには、単位認定、卒業認定の甘さもあろう。

 

大学としては教育に失敗した者に退学と留年以外の選択肢を与えるべきではない。

それ自体が学問していない大卒者という矛盾した存在を社会に生み出し、社会から大学に対する信用を失わせるものとなるからだ。