天皇という政治的存在による非政治的発言、おことばの正当性

天皇陛下がおことばを発された。

 

憲法が定める象徴天皇制を前提に、おことばの内容にはかなり配慮されたとのことだ。

陛下の御発言によって現実の政治を動かすことはあってはならない、という強い御自覚に基づくものだろう。

 

昭和天皇が終戦の詔勅の最後に宣べられた

 「爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ」

 (意訳:あなたがた臣民は、これらの私の思いをよく理解せよ)

と陛下が宣べられた

 「国民の理解を得られることを,切に願っています。」

との対比(「理解しなさい」という命令なのか「理解してください」というお願いなのか)が、国民統合の象徴である陛下の存在と御自覚をよく表していると思う。

 

私個人としては、陛下のお願いならば、誰の命令であろうと、それ以上の権威と栄光に満ちたものになるだろうと思うが。

 

しかし、憲法的な観点から見ると、やはり今般のおことばは非常に政治的な色彩を帯びてしまったと見ざるを得ない。

天皇憲法上の存在でもあり、また、極めて政治的な装置でもある。

そのため、天皇の存在はなるべく人為を介さないシステマチックなものでなくてはならなかった。

退位を認めず、摂政の制度を置いたのも、ひとえに天皇の意思を人間的な意思から引き離す、政治的な問題としないためである。

 

天皇はわが国でも最高度に政治的な存在であり、そうであるが故に、全ての言動は、一般人と比べ物にならないほど政治的な力、すなわち他人を動かす概念的な力(=権力)を生み出す。

 

したがって、繰り返すが、今般の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」は極めて政治的なのである。

現に、内閣、国会が動き、国民から議論を喚起している。

これが政治的でなくて何なのだろうか。

(こんなことならはっきりと「退位を認める制度にせよ」と命じた方が、政治的な議論としてはすっきりするかもしれない。

天皇制の危うさとは、天皇自身の意図にあるのではなく、その大御心を勝手に推察する輩(私がそうでないとはいわない)にある。)

 

それでは、この「おことば」は現行憲法に反する不当、不正なものだったのだろうか。

「国政に関する権能を有しない」という表現からは、そうといわざるをえないようにも思える。

しかし、私は、それでもなお、この「おことば」は正当なものであると考える。

 

というのも、天皇が退位できないということは、天皇という一個人の人権に関する重大な問題だからである。

自分が何者かになろうとすること、あるいは何者かであることを止めようとすることは本来自由である。

これを一部ではあれ分かりやすく提示しているのは、憲法に記載された職業選択の自由であり、より広くは表現の自由、幸福追求権に基づく人格権である。

 

(今回、陛下はご自身の辛さを表現されなかった。

ただ、務めを果たせなくなったときのことを考えよ、と私達に宣べられた。

しかし、年齢と公務を照らし合わせて明らかなとおり、陛下は天皇であること、天皇であるにもかかわらず天皇としての務めを今以上に果たせなくなる不安を覚えておられる。

なので、畏れ多くも拝察すれば、陛下は退位したいとお考えなのではなかろうか。)

 

だとすれば、陛下の御発言、天皇でも退位できる制度を構築することは、天皇の人権を確保するための第一歩であり、憲法に適合した望ましい発言であろうと思われる。

このような発言の許容性は憲法99条、天皇に課せられた憲法尊重擁護義務に照らして正当化できるのではないだろうか。

できなければ、安倍内閣が責任を取るだけで、私はそれでも全く構わないし。